無償の愛

 

昔はよく、「好きなタイプは優しい人です。」なんて言っていた。

 

無償の愛なんて無いと気づいたのはいつだったか。

 

大好きだった優しくて丁寧な上司がふらっと居なくなった時か、

それとも大切な人が汚いドロドロとした感情を見せた時か、

それとも自分の優しさが、自分の自己満足の為だと気づいた時か。

 

最近は色んなことをお願いされる。

頼られているんだなと思い嬉しくなって、来る者拒まずを続けている。そうしていると何で私だけこんなになんて汚い感情が流れ落ちてくる。

(そもそも自分のキャパシティーを超えることをする必要は無いよね、適度に断ろうね)

 

でも断れないのは、無償の愛を与え続けるのは、

自己満足のためだと思うと悲しくなる。

 

そんな時は大好きな人の言葉を思い出す。

「貴女は私と一緒で利他主義だね。利他主義の人は相手のことを深く愛して、何でもしてあげたくなるよね。その性格のせいで困る事もあるけど最後に幸せになれるから、大丈夫。私がそうであるように。絶対誰よりも幸せになれるよ。」(だいぶ自由に省略、まぁこんな感じのことを言ってた)

 

みたいな話をしてから、

ずっとクヨクヨと自分の性格に悩む時間が減った。

 

もし、自分のした言動で誰かが幸せになってくれたら(ちょっと大袈裟な表現過ぎたか、良かったな〜って思ってくれたらぐらいが丁度いい)

それだけで明日も頑張ろうと私も思える

こんな性格を自慢げに思いながら過ごしたいね。

 

 

 

 

大丈夫。絶対誰よりも幸せになれるからね。

 

 

 

https://open.spotify.com/track/3TxjMrMGWFP0jkIy0tVvVn?si=tjcRUjJ2QkaOL6V_kPiLuQ

 

夏休みとひいおばあちゃん

人が死んだり生きたりすることを目の当たりにした。なんだかぼんやりと生死のことを考えてしまった。

 

その時ふと小学生の時にひいおばあちゃんの事を思い出した。1ヶ月程祖母の家に泊まり、畑で野菜を植え、粘土で遊び、縫い物をして、竹を切って流しそうめんをした夏休み。たまーに離れに住んでいるひいおばあちゃんに遊んでもらった。

 

水墨画を教えて貰ったり、百人一首でぼうさんめくりをしたり(ローカルルールがある事を最近知った、あれ面白いよね、またやりたい)、なんだか今考えると渋い遊びを沢山した。

 

でも私はその中でも、ひいおばあちゃんとするかくれんぼが1番好きだった。

 

 

かくれんぼ

 

 

どう考えても隠れるところがない部屋だった。

 

いつも、

妹はひいおばあちゃんのベッドに隠れて布団が丸くなっていて、

ひいおばあちゃんはカーテンの後ろに隠れてカーテンの下の方から足が見えていた。

 

なんでもない遊びと隠れる場所の天丼ですごく楽しかったのをおぼえている。

 

ひいおばあちゃんと私は80歳差だった。よく、計算が楽だねなんて笑って話していた。もし今も生きていたら100歳を越していただろう。今でも計算してしまう。

 

なんて愛おしい気持ちでもっと長生きしてくれていたらと思い出す。

こんな風に思い出して何となく自分の生死感について分かってきた気がする。

 

どうしても今までは自分のために生きることが苦しくて、いつか簡単にこの命を終わらせてもいいかもと思っていたけど、もし誰かが私の事を少しでもこんな風に愛おしく思ってくれているなら、私はその人のために1日でも長く生きたいなあと思うようになった。

 

分からないけど人に生かされてるんだなあ〜と何となく思った。

 

夢うつつで打った文だから多分誤字脱字が酷いのだろう。まぁそれもいいとして眠ろう。もう9月だ。新しい空気をいっぱい吸い込んでのんびりと生きたいね。

 

 

漠然とした不安

久しぶりに書く。書き方を忘れてしまった。

自分の考えていることを文にまとめるとスッキリするから、なんとなく書こう。

 

何かが不安で人の声を聴いていないと辛いと思うようになった。そんな時音楽やYouTubeの生配信はそっと私を支えてくれる。

 

でもそういったものは片方向で、コロナで人に合わなくなって双方向のコミュニケーションが下手になったなぁと感じることが多い、人と話してリハビリをしなければ。

 

最近みんなはどう?

私は古い恋人のことや古い恋人の事を思い出してちょっとだけ辛くなる。ちょっとだけ。愛されていたんだなぁと思い出す。どうやって人を愛していたのか分からなくなってしまった。孤独死だけはしたくないな〜〜〜〜〜〜

 

読んでくれている人がいたら、その時はお墓作ってね。当分死ぬつもりは無いけど、何かの拍子で目標を見失ってしまったらその時はちゃんと生きれるのだろうか、と不安になる。

 

(今は、働きたい!資格を取りたい!もしも、もしも可能性があるなら修士や博士にチャレンジしてみたい、いつか、、、と思ってるから大丈夫だけどね。)

 

まぁ見返したら酷い文書だな、フラッフラと話が変わる。私の生き方みたいだなあと思う。

 

ラブソングを聞くと優しい気持ちになれる。

ふんわりと私を包み込んでくれる。愛も恋も分からなくなったけどラブソングだけが耳で鳴ってる。

 

新世紀のラブソング

https://open.spotify.com/track/2lJLheuHA1VTIMMNTYjm8C?si=J3_XKOKTRhGFP1Xic7XZ_w&dl_branch=1

 

 

自分の世界の主役になりたい

高校生、いや中学生か?まだあのラジオから聞こえてくる言葉が誰から発せられるものかも分かっていなかった。

 

「君は自分の世界の主役だと思う?それとも脇役だと思う?」

 

その言葉が今でもたまにグルグルと頭の中で回る。

あの時私はラジオに出演してる同年代のキラキラした声の「主役だと思う!」という答えが気持ち悪くて仕方なかった。

 

いつからだろう

 

あの時のように誰でもいい脇役を、教室の真ん中で笑うあの子みたいになりたいのかも分からなくなっていたあの時とは違って

 

もしかしたら自分はこの世界の主人公でもいい、主人公かもしれないと思えたのは

 

今なら少しだけあのラジオから聞こえてきた話が分かるような気がする。

 

『 現実が希望 』
 
ファンファーレがきこえる』で「現実化希望」というフレーズがあるんですけど、
そのフレーズで悩んでいたんです。
僕は最初は「現実が希望」にしよう思っていて、そのダブルミーニングもあって。
 
それで最終的に自分の明日、希望ってどこにあるのかって考えていたら、
3次元とか別の場所じゃなくて、ちゃんと現実にあるんだって感じて。
 
だから現実と向き合って頑張ってもらいたいなと思います!

 

今では大好きなバンドのひとつになったBase Ball Bearの曲を聴いて明日の現実も頑張りたい。

 

SCHOOL OF LOCK!Base Ball Bear先生来校”

2013/11/26

https://www.tfm.co.jp/lock/staff/index.php?itemid=1701&catid=36

 

ファンファーレがきこえる/Base Ball Bear

https://youtu.be/aMHUuaZt1OE

 

 

 

香水

最近はやり歌、香水ありますね、まあそんな話をしようと思って書き始めたんじゃなくて、

匂いっていいよな〜という話で、好きな香水ある?そう匂い

 

私は好きな香水を着けている(“付けている”じゃなくて“着けている” 身にまとっているような感覚)時、その時だけは無敵な気持ちになることが出来る。無敵大事。

 

昔コスメ売り場でぐずった幼稚園児の私にお母さんが買ってくれた、Diorのクリス1974のミニボトル。

ずっと忘れられなくて今でもどこかで探してる。

 

大学生の時に彼氏に振られていい女になりたくて初めて自分で買ったAUX PARADISのPure。

(全然ピュアな匂いじゃない笑、でも好き。)

 

秋になる度に楽しみにしてるAUX PARADISの金木犀の匂いの香水。

 

どれをつけていても強い自分でいられた。

次はどんなものを買おうか。

 

ところでなぜこれを書き始めたかと言うとSpotifyPerfumeを見つけた。

中学生の時、全然上手く行ってなくて、たまたま借りたPerfumeのLEVEL3を朝準備しながら聞いたあの日から少しだけ人間関係が楽になった。

あの時のズンと前に進んだ感覚が忘れられなくて未だにたまに聞いている。

私は「ふりかえるといるよ」「1mm」「だいじょばない」とか好き。

 

 

 

好きな匂いを大きく吸い込んで明日もズンと進みたい。

 

 

 

 

 

 

 

「良い湯加減〜」ってなる

 

一日が終わろうとしている、のにも関わらずまた絶望している。

9時から5時までずっと課題をしていた。

どう考えても今日の私は頑張ったのに、その後頑張れなかっただけで、また自分を責めてしまっている。

 

悲しい気持ちになりたくないから今日すごく良かった話だけしたい。

 

 

、、、、、

 

 

 

全然思いつかなくて悲しくなった。

 

そういえば昔から幸せな気持ちだったり記憶を持ち続けることが凄く苦手だなあと思う。

直ぐに昔の嫌な思い出を思い出してしまう。

(小、中、高の色々な恥ずかしい思い出、苦しい思い出等々)

 

でもそんな私もここ数年は、

あぁこれ苦しかったなあ、でもあのドン底経験してるし今日はそれより最悪にはならないかな

とか

今日のこれは本当に良かったという事をSNSにちゃんと記録出来るようになった。

 

偉い、ほんと偉いよ。

自分で言うのはなんだけど。

 

明日も、もっと先の未来でちょっとだけ明日も頑張ろうかと思える記憶を作りたい。

 

 

P.S. この時間のお風呂入るの面倒くせー!でも入ったら入ったで良い湯加減〜ってやる人間はみんなクボタカイの「TWICE」聞こうネ。

 

https://open.spotify.com/track/6YGy8af4k2cVGsybIo9Y4G?si=uE7foa07SIq5kixubB-vuQ

 

 

 

 

ビール

ビールを飲んだ。オリオンビール。そう、あれ、沖縄のやつ。美味しかった、いつの間に私はビールを好きになっていたのか。 

 

物も人も好きになる時一目惚れなんてしたことがあっただろうか。

今私の周りにある好きな物は思い返せば、初めはなんだこれはと戸惑うことばっかりだったと思う。何か分からないから知りたかったり、自分に無い価値観だからズルズルと惹き込まれたりその過程が1番好きなのかもしれない。

 

最近の私は、相変らずギリギリのところで立っている。中学生の時に好きだった友達に、「いつもギリギリの所に立っているね」と言われたことがある。大好きな曲に「もしも触れれば、はね飛ばされるギリギリのところに立っている」という歌詞があってもしかしたらこの曲は私のことを歌っているのかもしれないと思ったりした。(ハルカトミユキのプラスチック・メトロという曲です聞いてみてね)

 

そういえばその数年後にその友達に「何だか年々生きやすそうになってて嬉しい。」と言われたのすごく良かった。

最近やっとギリギリを楽しめるようになった大進歩。KATーTUNかよ。

 

だれが読んでるんだよこのブログと言った感じだけど書くのは楽しいからいいとする。

明日も少しだけ大きな一歩を進みたい。夢の中で貴方に会いたい。叶うならば貴方に会いたい。とりあえず今日はおやすみ。